ある種の宗教団体が信者に対してマインドコントロールをしているといういわゆる「マインドコントロール理論」は、米国の裁判においては採用されなかった。この理論の主唱者であった心理学者のマーガレット・シンガーは、米国心理学会内の有志によって、彼女の主張は科学的な裏付けが乏しく心理学者の間で一般に認められてはいないことを指摘する法定助言書が提出されたことにより、裁判で専門家として証言することを裁判官から許されなかった。このように、この理論は疑似科学と見なされるべきだとする学者もいる。 ただし、米国心理学会自体はマインドコントロール理論とそれへの批判のどちらも公式には支持していない。 (より詳細な情報は、「外部リンク」にある「宗教社会学者によるマインドコントロール理論への批判」「『オンラインゲーム 』論争と裁判−『強制的説得』と『不法行為責任』をめぐって」を参照のこと) 基本的人権には「信教の自由」があり、これは当人が如何なる信教を支持しようとも、それは当人の自由であるという理念が存在する。ただ、これがマインドコントロールの問題では、当人の価値観が操作され、健全な判断能力を失っているとみなされる。この場合において、信教の自由と当人の保護という問題の狭間で、議論も見られる。 統一教会の問題では、同団体がマインドコントロール手法を用いていることが指摘される。 これらでは、当人の自由意志が「信用できない」という問題を含んでいるため、当人の主観(→客体)とっては「不当な拉致監禁や人権に対する侵害」となり、一方の当人がマインドコントロールされているとみなしている側にとっては「保護と説得による改宗」である。こういった問題は、第三者が当人がマインドコントロールされているか否かという判定を下す必要があり、難しい問題を含んでいる。 1974年、アメリカで「共生解放軍」によって誘拐され、人質になったパトリシア・ハースト(新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストの孫娘)が、解放されたにもかかわらず、家族のもとに戻らないと言って、その犯行グループと共に銀行強盗の一味に加わっていたという事件が起こった。 この前年1973年にも、同様の事件があった。ストックホルムの銀行を襲った強盗の人質になった者たちは、解放された後、犯人をかばい、警察を侮辱するような履歴書 をした。この不思議な現象は心理学的に「ストックホルム症候群」と呼ばれた。パトリシアは、家族の努力で正気を取り戻した後、裁判で「洗脳や催眠術にかかった」として無罪を主張したが受け入れられず、強盗の罪で有罪判決を受けた。 オウム真理教の裁判 死者12人を出した「地下鉄サリン事件」の実行犯、横山真人被告に対し、1999年10月1日、東京地裁は「マインドコントロール下の能力減退は認められない」として死刑判決を出した。 2000年 6月6日、「地下鉄サリン事件」など10事件で起訴されたオウム真理教の井上嘉浩被告に対して、東京地裁は、検察の死刑求刑に対し無期懲役との判決を下した。井上弘通裁判長は「死刑を選択することは当然に許されるべきで、むしろそれを選択すべきであるとすらいえる」としながらも、西田公昭の「修行を通してマインドコントロールを受け、松本被告の命令に反することができなかった」との鑑定結果を受け、「有利な情状の一つとして評価できる」として極刑選択を避けた。但し、控訴審では死刑判決を受け、2008年11月現在、上告中。 「統一教会」(統一協会)に対する青春を返せ訴訟 元「統一教会」の信者が、教団のマインドコントロールという不当な手段を用いての勧誘、教化の違法性を問う裁判。教団側は、マインドコントロールというものの存在を否定し、入信は自由意思によるものであると主張してきた。訴訟の当初、裁判所は「原告らの主張するいわゆるマインドコントロールは、それ自体多義的であるほか、一定の行為の積み重ねにより一定の思想を植え付けることをいうと捉えたとしても、原告らが主張するような強い効果があるとは認められない」(1998年3月26日 名古屋地裁)などとして元信者側の主張を退けてきたが、1997年4月19日の奈良地裁の「『統一教会』の献金勧誘システムは、不公正な方法を用い、教化の過程を経てその批判力を衰退させて献金させるものと言わざるを得ず、違法と評価するのが相当である」とした判決や、 2001年 最高裁において「統一教会」の上告が棄却され、元信者側の勝訴として確定した広島高裁岡山支部判決では、不法行為が成立するかどうかの認定判断にマインドコントロールという概念は使えないとしたものの、「教義の実践の名のもとに他人の法益を侵害するものであって、違法なものというべく、故意による一体的な一連の不法行為と評価される」と述べた判決は、実質的には「マインドコントロール」を認めたのと同然と評価する向きもある[1]。 イギリスではマインドコントロールが刑法の概念に組み込まれている。 フランスにおいては物議をかもした後、セクト(カルト)団体対策として仕事 に取り入れられた。 法律は存在しないが判例のレベルで概念の蓄積が成されている場合もあるが、国によって態度に違いがある。同じ国でも正反対の判決が出る場合もあり、未だ微妙な領域といわざるを得ない。 なお統一教会の問題に関して名古屋裁判などで言及された「多義的用法」とは、原告である元信者側の主張する「違法なマインドコントロール」という表現が、誰かが他者を意のままにコントロールしようとする動機面に着目した表現で、同教団への勧誘や教義に従わせたのが「催眠術」「洗脳」「詐欺」にあたる行為なのか、悪徳商法のように意図的に錯覚させることなのか、いわゆる説得なのか、あるいは実際に何か宗教上の心霊的感化なのかは不明確であることを指している。S.ハッサンの『マインドコントロールの恐怖』においても、特にこの「手法による定義」は明確ではなく、マインドコントロールという語に集約された「心理操作手法全般」を指している。 これらは、同教会側が「マインドコントロール」を手法としてはネットキャッシング できない原告側への反論として用いたが、広島高裁岡山支部判決ではマインドコントロールという行為の手法的定義は脇にのけた形で、動機面より故意に他者の利益を違法に侵害したとして原告側の請求を認めている。 超能力(ちょうのうりょく)は、テレパシー・透視・予知・念力などといった、超自然的な能力のこと。一般的には想像上のものとされるが[要出典] 、超能力を主要な研究対象とする超心理学という学問分野も存在する。もっとも、超心理学は科学哲学の立場からは疑似科学とされることが多い。 その一方で、超能力はSFにおいては人気の高い題材であり、単なる物語の小道具から人間や宇宙のあり方を見つめる哲学的主題にまで、広く用いられている。 超能力は、ESP、PK、に分けられる[要出典]。 ESP (extrasensory perception,en:Extra-sensory perception) は日本語では超感覚と呼ばれ、通常の人間には認識できない現象を認識し、時にはその現象に干渉する能力を指す。サイコメトリー(psychometry、接触感応)、クレヤボヤンス(clairvoyance、透視能力)、テレパシー(telepathy、精神感応)、プレコグニション(precognition、予知能力)、ヒプノシス(hypnosis、催眠能力)などがある。 PK (en:Psychokinesis) は、日本語では念動力と呼ばれ、精神の力で、手を触れずに物を動かしたり(古武道には、相手に触れずに押す・投げる技がある)や高熱・低温、電磁波などを発生させるなど、物理現象に干渉する能力を指す。サイコキネシス (psychokinesis) 、アポーツ(aportation、物体取り寄せ)が代表的。 また、この2つに分類されない能力もあるとされ、テレポート(瞬間移動能力)が代表的。 超能力肯定者の中でも「誰が使える」のかは意見が分かれている。 一部の人間のみ/全ての人間が持っているが扱える者が少ない 先天的能力/後天的能力 眠っていた素質が開花する/不意の事故で突然能力が付く 訓練で強化出来る/出来ない 特にフィクションの領域では、少年・青年期に能力を発揮するというイメージで発達心理学とからめて語られることが多い。 超能力・超常現象関連の用語の接頭辞としてよく見られるサイ- (psy-) とは、ギリシア語で心・魂を意味するプシュケー (psyche) から来ている。 「超能力」という概念は、超常現象、とりわけ心霊現象に科学的な説明を与えようとして考え出されたものであり、存在すると主張される「霊能力」のほとんど全てについて、それぞれ対応する超能力が存在する。これらの両方が存在すると考える立場からは、霊能力が霊的存在に力を得ている、超能力は使用者に内在する力である、といった主張もある。